- 「仰臥漫録」正岡子規*
[amazon_link asins=’4003101359′ template=’ProductAd’ store=’jtcy-22′ marketplace=’JP’ link_id=’3a60755d-a230-11e8-ae3b-69a4e748d10f’]仰臥漫録は、正岡子規による、死の前年から死の直前までの日記です。この頃、子規は新聞「日本」紙上に「[amazon_textlink asin=’4003101340′ text=’墨汁一滴’ template=’ProductLink’ store=’jtcy-22′ marketplace=’JP’ link_id=’3ffd1319-a230-11e8-8555-499f8355a722′]」「[amazon_textlink asin=’4003101324′ text=’病床六尺’ template=’ProductLink’ store=’jtcy-22′ marketplace=’JP’ link_id=’44c23bda-a230-11e8-828c-915fdf4e78a5′]」の名前で死の2日前まで日記風随想の連載を持っていましたが、それと平行して私的に書き続けていた日記です。「墨汁一滴」「病床六尺」との違いは、人に見せることを意識していないためか、ライフログ的身辺些事が多く続くところです。日記は9月に始まりますが、初期に見られる詳細な「食べたもの」記録は、食べるものに異常な執念を燃やしたという子規の食生活が垣間見られて、非常に興味深いものがあります。毎日、朝から飯やら粥やらを3杯4杯と食べ、昼にかつおや鮪の刺身、間食に菓子パンやココア入り牛乳を1合、夜も飯を中心に旺盛な食欲を見せ、献立ごとに「ウマカラズ」などと小書きする記述は、ほほえましくもあり、「お前、病人のくせにどれだけ食うんだよ」と思わずツッコんでしまいたくなります。それら食事の記録の合間に、訪れた友人・同人・門下生のこと、金の無心のこと、家族のことなどが差し挟まれます。
ところが、次第に食事以外の記述は少なくなり、さらに数か月の断絶を挟んだ翌年3月からは、献立の記録も、あれが食べたいこれが食べたいという記述もすっかり影を潜め、ただ鎮痛剤をいつ打ったかのみが記される日々が続き、やがて最後の日へと向かっていきます。子規の食への関心というのは有名でしたが、それすらも消え失せていく後半の日々は、直接的な記述よりも(それもたくさんありますが)なお一層、病苦の恐ろしさを感じさせるものでした。
冒頭には岩波文庫版を挙げましたが、私は実際には筑摩の現代日本文学全集で読みました。なお、amazonは品切れでしたが、岩波のサイトによると、現在入手可能なようです。