「知性は死なない 平成の鬱をこえて」與那覇潤

[amazon_link asins=’4163908234′ template=’ProductAd’ store=’jtcy-22′ marketplace=’JP’ link_id=’ed22bef9-b36b-11e8-bb59-5180f6ab6a50′]

與那覇潤さんは東日本大震災の少し後くらい、「中国化する日本」を著したころからいろいろな論壇誌でその名前をお見かけするようになり、やがてさまざまなテレビ番組に出演するようになって、一気に「人気の知識人」になっていくのかと傍目から見ていたことがありました。それが、やがて出演も文章も目にしなくなり、Twitterも非公開になって、学究に専念されているのかと思っていたところ、今春のこの本の出版により、双極性障害を患って最終的に愛知県立大学の職を退いたことを明らかにされました(本書のプロフィールには「地方公立大学」としかありませんが、その理由は本書内にあります)。

実は私は、與那覇さんに遙かはるか昔にお会いしたことがあって(といっても、ホントに何でもないところ、たとえれば運転免許の更新みたいなところでたまたま隣になったくらいの縁です)、雑誌などでその名前をお見かけしたときに、知らぬ人ではないような気分になっていました。それだけに、この本とそれに伴う発表を、少なからずショックを感じつつ聞いたものでした。

本書では、気鋭の歴史学者であった筆者が少しずつ変調を自覚し 、一時は文字を読むことさえ困難になったという状態に陥り、ついには大学の職を辞して「歴史学者廃業」を宣言するに至るという、筆者本人のストーリーと、平成に年号が変わり冷戦が崩壊し、日本では政権交代を経て現在の自民党政権に至る一方、アメリカではオバマの後にトランプが大統領に就任する世界とが、交互に、ある種オーバーラップするように語られていきます。これまである種無謬に信じてきた自らの「能力」の普遍性が病によって揺らぐのと同時に、世界でも「知性」が軽んじられる風潮が廃しがたくなることとが同時並行の現象であるかのような語り方は、「個人の体験に引き寄せすぎ」との批判が当然あるでしょう。しかし、そうでなければ筆者は語れなかったし、同時並行的に体験した筆者だからこそ、終章の「知性」「能力」に対する見方を書くことができたのだと思います。

本書の上梓後、筆者はいくつかの雑誌で執筆しておられます。アカデミックポストへの復帰は目指されていないかと思いますが、それでも今後、氏が執筆活動を継続されていくことを、僭越ながら期待します。その先には、きっと「知性」を持った知識人の姿があると思うからです。

あと、カルカソンヌやってみたいと思いました。

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください